エレファント
「コロンバイン高校銃乱射事件」の事は、当時、TVで見た。 「ボーリング・フォー・コロンバイン」は、見てない。 そんなあたしが、否定できない邪な動機で鑑賞してみたんだけど。
無知なあたしは、見てる間中、コレが本当の真実だったような錯覚に囚われてたかも。 まるで、脚色無しのドキュメンタリーを見てるような感じ。
登場する人物達の行動や、話す事に全く違和感を感じない、違和感。
そのくらい自然に、そして、不自然に進んでいく時間が、カチカチの椅子を座り心地良くさせたり、悪くさせたり。 予め予想しちゃってる瞬間まで、何度も繰り返し見せられる子供たちの日常が、心臓への血流を不規則にさせたり。 そんな風にじれじれさせられながらも、美しい画面に目は釘付けさ。 瞬き出来ねー。
余韻に浸るというより、誰かに余韻(液体っぽい。)入り洗面器に顔を押し付けられてるような感覚を味わいながら、改めて気が付く。
“あー、コレ、ドキュメンタリーじゃないよなー”
真実はこんなにきれいな画面じゃないんだろう。 銃が乱射された場所は、もっともっと色んなものが飛び散ってるだろうさ。 子供たちは、選ばれたキレイな顔してる役者さんたちださ。 空だって、もしかしたら、あんなに青くは無かったかも。 銃を乱射した男子達が、行く前にあんなことしたか知ってる人なんか誰もいるわけないしな。
ちゅーか、ボーリングは?
“ほぼ作り事”だとわかっても、これが事件の真実だったような気持ちが、全然消えないのは何故だろう?
多分・・・多分ね、事実に忠実に、本当の映像を使ってレポートされるのと同じくらい、この“ほぼ作り事”が、事件の本質に近い何かを伝えてる事もあるんじゃないかな。 じゃあ、それはなんだろう・・・? んー・・・しっぽは掴んでるんだけど。
理由は、なんとなくわかる気もする。 それは、あたしが鑑賞中、感じまくってた、この映画を作った人の気持ちに、優しさみたいな、愛情みたいな、そんなプラス的なモノ。 事件に対しても、事件に関わった人にたいしても、演じる役者さんたちに対しても。
話が逸れるけど、その辺、「BULLY」や、「KEN PARK」を作った人は、あたしの中で、この映画を作った人とは、全く逆の位置
とりあえず、「ボーリング・フォー・コロンバイン」も見てみるか。 少し怖いけど。
IMDb・スガイ札幌劇場
え / 2004年05月30日
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